研究紹介
 当研究室では、生命体が関わるバイオシステムに関する大きな二つのテーマに取り組んでいます。その一つは細胞内で起こっている複雑な代謝反応の特性をコンピューターを使って明らかにするものであり、もう一つは人間を中心とした閉鎖生態系生命維持システムを構築する際に生じる様々な問題を化学工学的な技法により解決する方法の開発と実用化に関するものです。両テーマは対象とするバイオシステムの大きさがまったく異なっていますが、同様な手法で効率よく解析することが可能です。以下では、そのうちいくつかの研究テーマを簡単に説明します。

1.遺伝子反応を含む大規模代謝反応システムにおける動的感度解析法の開発とその応用
 人間を始めとする生物は、多くの酵素の力を借りて生命を維持しています。個々の代謝反応はそれぞれに割り当てられた酵素の触媒作用を受けるとともに、その反応速度は厳格にコントロールされており、これらは全体として酵素反応ネットワークを形成しています。本研究では、このような代謝反応システムをバイオケミカルシステム理論(Biochemical Systems Theory;略してBST)および独自の手法で解析し、その特性を明らかにしようとするものです。BSTについては著書(白石文秀, バイオケミカルシステム理論とその応用: 代謝反応ネットワークを効率よく解析するために; 産業図書 ) を参照してください。
 感度解析は代謝反応システムの特徴を明らかにするための有効な手段の一つです。しかし、 BSTによる感度計算は定常状態に限定されます。したがって、これまで時間とともに変化し、決して定常状態を取らないシステムの解析を充分に行うことができませんでした。そこで、当研究室ではTaylor級数法に基づき簡単な操作で動的感度計算を行うことができるソフトSoftCADS (Software for calculation of dynamic sensitivities)を開発しました。これにより、代謝物濃度の微分方程式から感度の微分方程式を誘導する手間がなくなり、数学にあまり精通していない研究者でも代謝反応システムの動的感度を簡単に、しかも高精度で計算できるようになりました。現在、当研究室では、代謝反応システムの解析はもちろんのこと、カオスの同定、ラジカル反応の簡略化など、多くの領域で本ソフトの応用を図っています。
BSTに関する著書 SoftCADSのエディタ
2.動的感度計算に基づく代謝反応ネットワーク内のボトルネック同定法の開発
 代謝反応ネットワーク内には、酵素活性が低かったり、ネットワークの構造の問題などにより、酵素反応の速度が遅くなっている場合があります。もし、このような箇所(ボトルネック)を遺伝子組み換え技術などにより改変できれば、発酵プロセスの生産性向上を期待できます。また生体においては、このような箇所を利用した新たな薬剤やその投与技術の開発が期待できます。本研究では、ボトルネックを理論的に効率よく探し出す方法、並びに探し出したボトルネックの改変によるバイオシステム特性の向上について検討しています。どのような計算を行えばボトルネックを検出できるか、どのような計算値を指標とすべきかについては、最近の論文で報告を行っています。いずれにしても、提案した手法は、理論的に最も効率よく、かつ正しくボトルネックを同定することができるものです。

3.大規模代謝反応ネットワークのモデリング法の開発
 現在、分析機器性能の劇的進歩により、細胞内代謝物濃度の時間変化が正確に測定できるようになりつつあります。これにともない、代謝反応システムに対して数式モデルを構築し、コンピューターシミュレーションにより効率よくシステムの特徴を明らかにする研究が望まれるようになってきました。一般に、酵素反応はミカエリス-メンテン型機構に従って進行しますが、数式モデルを作るには各酵素反応に対する反応速度式が必要となります。しかし、このような速度式をすべて実験により決定するには多くの労力と研究費が必要であり、実質的に不可能です。この問題に対処する一つの手段として、これまでに報告されている論文に記載された式を使用することが考えられますが、このようにしてもすべての式を集めることができませんし、仮にできたとしても生物種が異なるなど、多くの問題が生じます。従って、理論を専門とする人であっても、解析を断念せざるを得ない状態が続いています。
 当研究室では、この問題を解決するためバイオケミカルシステム理論による数式モデリングの開発を行っています。本理論によれば、代謝マップが与えられるだけで、代謝反応システムに対してS-システム型の数式モデルを作ることができます。この微分方程式モデルは基本的には近似式ですが、代謝物濃度間の関係を含めた形で定式化しますので、ネットワークの挙動を理解するのに有用です。たとえば、ある代謝物濃度が増大したとき、あるいは減少したとき、他の代謝物はどのように変化するかを理解することが可能です。式中の速度パラメーターは、実験により決定された代謝物濃度の時間変化データから直接決定されるので、システムの正しい特性を知ることができます。
 構築した数式モデルを使って上述のSoftCADSにより解析すれば、システムの様々な特性を明らかにすることができます。

4.Taylor級数法に基づく高信頼性常微分方程式数値解法の開発
 代謝反応システムは非線形の連立常微分方程式で記述されます。上述のように、本研究室では大規模システムの解析法の開発とその応用に取り組んでいますが、このとき、これらの微分方程式が多くの数からなること、堅い微分方程式系を構成しやすいことから、高精度の微分方程式解法が必要になります。また、一般的には計算を行う操作が煩雑でなく、計算時間が長くかからない限り、より高精度で解を得ることができる方法を選択する方が好ましいことは明らかです。なぜならば、得られた解が本当に正しいか悩む必要がないからです。数値計算法の多くはTaylor級数の項数を4次程度で打ち切ることにより構築されたものです。しかしながら、このような低次数では打ち切り誤差や桁落ち誤差などにより正しい解を得ることができない微分方程式系があります。
 そこで本研究では、この問題を解決できる“
Taylor級数法”の確立とその応用について検討しています。微分方程式をコンピューターで解くと、計算誤差の影響を大きく受けることが多いのですが、本法によればコンピューターが持つ有効桁に匹敵する精度で数値解を得ることができます。その計算精度は驚くほどです。たとえば、酵素がある担体の内部に均一に固定化されているとします。反応物は担体の外部から拡散して担体の内部に入り、担体の中心へ向かって拡散する過程で酵素により触媒作用を受けます。この一連の現象は2点境界値問題により表されますが、これをTaylor級数法により解くと、その解が担体中心濃度が10-300まで減少したとしても13桁以上の精度で得られることを明らかにしました。もちろん、このような高精度の解は現実には必要ありません。通常、3桁の精度があれば十分です。なぜ、このような超高精度で解を得ようとするのでしょうか。それは、いつでも信頼できる解を得るためです。このためには、常に計算機の有効数字一杯で数値解を得ることが必要なのです。Taylor級数法は、このような計算を実現する唯一の方法です。これまで、多くの論文を書いていますので、それらを参照して下さい。


5. 高性能光触媒反応システムに基づく揮発性有機化合物を含む室内空気浄化法の開発
 光触媒(酸化チタン)は様々な有害物質を室温で二酸化炭素や無機化合物まで分解することができるため、これまで住環境中に存在する有害物質分解への応用が精力的に検討されてきましたが、その実用化は思うように進んでいません。当研究室では、光触媒反応現象を詳細に検討し、これまでに光触媒反応プロセスの実用化を阻む因子(境膜拡散抵抗単位表面積当たりの光強度)を特定しました。そして、現在これらの問題を取り除いた高性能空気清浄機の実用化を目指しています。
 本空気清浄機は、活性炭またはゼオライトを担持したハニカム状ローターを用いる連続吸脱着濃縮機と、酸化チタンを内表面に塗布した内径28mmのガラス管中にWブラックライトを挿入した反応管を3行3列に並べた構造を持つ並列管型光触媒反応器からなります。装置内に取り込まれた空気はハニカムローターを通過することにより迅速に浄化され、室内へ戻されます。このときローターに吸着された汚染物質は、ゆっくりと回転するローターが連続的に熱風が供給されている区間を通過するとき脱着され、光触媒反応器を含むループ中に濃縮されます。そして、脱着された汚染物質は並列管型光触媒反応器により迅速に分解します。本空気清浄機の大きな長所は、大量の空気に対応できること、空気浄化が迅速であること、希薄な状態で存在する汚染物質を確実に分解できることなどです。
 さらに、本空気清浄機の原理に基づき、簡略化した新たな空気清浄機の開発に取り組んでいます。最近行った実験によれば、23m3の空気中に含まれるイソプロパノール、トルエンの濃度を10分以内に検出限界まで低下させることができます。
 このような空気清浄機の応用の場としてつぎのようなものが考えられます。
1)居住施設内の空気中VOCの除去
2)オフセット印刷工場内の空気浄化
3)ネールアート時に発生するVOC除去
4)宇宙ステーションや、2020年頃に完成予定の月面基地内で発生する毒性物質の除去
5)半導体工場内の空気浄化
光触媒と連続吸脱着濃縮機からなる空気清浄機
太陽光を光源とする光触媒反応に基づく水浄化法の開発
 光触媒の水浄化への応用については、世界的に見て、まだ際だった成果はあがっていません。もちろん、処理期間が数週間あるいは数ヶ月にわたってもよいというのであれば、太陽光を使った水処理反応プロセスの実用化が可能であると考えられます。しかし、実際には数時間から数日での処理性能が要求されるため、空気処理に比べてより一層の反応器性能の向上が必要であります。光触媒による水処理の実用化が困難な主な原因は、水環境下において光触媒活性が発現しにくくなっていることによります。この主要因として、境膜拡散抵抗の存在、水透過による紫外線強度の減衰、水分子によるラジカルの迅速消化、水中の共存イオンによる反応阻害などが挙げられます。本研究では、これらの問題を部分的に解決することで水溶液中に含まれる有害物質を迅速に分解処理できるいくつかの光触媒反応プロセスの開発、検討を行っています。
 また、最近、反応容器の開放下で水処理を行うと、反応液の濃縮が起こり、水処理を効率よく短時間に行うことができることをシミュレーションにより明らかにしました。この場合、水分の蒸発とともに有害物質が揮発しないことが条件となります。このような処理において、光触媒が常に最大の活性を発現するような手法を考案し、その性能試験を現在行っています。
 光触媒による水処理では、通常、付加価値のある物質は生産されません。したがって、その処理プロセスでは使用エネルギーを極力最小にする必要があります。この点で、光触媒による水処理では、太陽光の利用は必須です。これまでの研究から、光触媒にある化学的処理を施すと、太陽光照射下で迅速に有機化合物の分解が起こることがわかりました。現在、この手法に基づき、大規模な水処理プロセスの構築ができないかを検討中です。


           風力攪拌を行う光触媒反応器
8. アオコが生産するミクロシスチン含有水道水浄化法の開発
 現在、中国で3番目に大きな太湖の周辺地域では、湖水の富養化により大発生したアオコが生産したミクロシスチンが水道水中に混入し、これを飲用した人の多くが肝臓ガンで死亡しており、大きな社会問題となっています。このような問題は単に中国だけでなく、多くの開発途上国はもちろん、日本でも問題となることがあります。
 本研究では、ミクロシスチンを効率よく確実に分解するための水処理システムの開発を行っています。新たに開発した活性炭表面を多孔性の酸化チタン薄膜で覆った材料を用い、人工光だけでなく太陽光を光源としてミクロシスチンを含有する水の処理を行いました。その結果、ミクロシスチンを短時間に分解除去できることが明らかとなりました。本研究では、中国からの留学生が実際に中国無錫市の江南大学に滞在し、太湖から供給される水道水を処理することにより装置性能を評価しました。
太湖の風景 アオコで汚染された太湖水
過去の研究テーマ
  1. 遺伝子反応を含む大規模代謝反応システムのコンピューター解析
  2. 大規模代謝反応システムの動的感度解析法の開発とその応用
  3. 代謝物濃度の微分方程式を与えるだけで動的感度を計算するソフトSoftCADSの開発
  4. 超高精度数値計算法(Taylor級数法)の確立とその応用
  5. 脳内セリン代謝反応システムの動的感度解析
  6. カオスシステムの動的感度解析
  7. 固定化生体触媒(固定化酵素)の見かけの速度パラメーターの一般式の提案とそれを使った解析
  8. 動的代謝反応システムの固有値計算法の開発
  9. 大規模代謝反応システムのボトルネック同定法の開発
  10. 大規模代謝反応システムネットワークの脆弱箇所の検出法とその頑健化法の開発
  11. バイオリアクターの設計計算
  12. 閉鎖生態系の数学的モデリングと解析
  13. 空気浄化のための高性能光触媒反応システム(空気清浄機)の開発
  14. 新型インフルエンザ対策用高性能空気清浄機の開発
  15. 水浄化のための高性能光触媒反応システムの開発
  16. 太陽光と風力をエネルギー源とする水処理システムの開発
  17. 中国太湖水を水源とする水道水の浄化(ミクロシスチンを含む水道水の迅速浄化)
  18. 淡水魚水槽の水を交換せずに水槽中に緑藻類を繁殖させない方法の開発
  19. 淡水魚水槽水の簡単な殺菌法の開発
  20. メダカ-ミジンコ-クロレラからなる閉鎖生態系の解析
  21. 安価で効率的な水の電気分解法の開発
  22. 太陽光発電を利用した効率的水素生産法の開発